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2009年03月

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horrible


毎度ごぶさたしております。
さすがにこれは、と思ったものですから、少しだけ書きます。

近頃ネット以外の情報源が乏しく、よく分からないんですけれど、どこかでしらせているでしょうか?
僕はこのことを、こちらこちらで読んだあと、google news で検索してみました。
今の時点でトップニュースのリストに表示されませんし、ほとんど報じられていないようですね。

僕が気にしすぎているのかもしれませんが、この事件は本当にこわいことだと思うんです。

そんな感じ。


SPECIMENS#3 "the landscape for a circuit"


forLandscape.jpg


というわけで展示の告知ですよ。
どんなわけだ。

________________________

吉野 章 個展
SPECIMENS#3 回路のための風景

日時 2009年4月13日(月)~25日(土)
   ※12~19時開場(最終日17時閉場)
場所 ギャラリープラットフォームスタジオ
   〒104-0061 東京都中央区銀座1-9-8奥野ビル515
   http://platformstudio.nobody.jp
________________________

昨年初個展をやらせていただいたプラットフォームスタジオでの展示です。
アレッ?!っと思われた方。すみません。そのとおりです。
本来なら横顔の展示をやる予定だったのですけれど、ちょっと順番をかえまして先に他の企画をやります。なんだかすみません。

昼間は作品の制作をして、夜に細々と作業しておりましたが、本日ようやくDM出し終わりました。
まもなくお手元に届くかと思いますが、「家に来ないよ!」という方はご一報ください。
なんかもう家内制手工業でざっくり作ってますので恐縮ですけれど。
ちなみに画像は WEB告知 用に作ったやつですから、DMとはデザインがちょっと違います。
ちょっとだけね。


作品にはくっきりした線が欲しかったので、鉛筆でなくミリペンを使ってます。
鉛筆は今後も使いますけれど、今回はそんな案配。
上の画像のような形のある部分はほんの一部で、あとはもう回路状の線ばかりです。
ひたすら線引いてます。もっと密度がほしいです。もっともっと~。
ネジのはずれた青い化け猫にも「眠くならない薬~」とか「疲れを感じない薬~」を出してほしいです。
がんばります。がんばれ自分。いいからがんばれ。

期間中は 土日のみの在廊 です。
平日は基本的にオーナーさんにお願いしています。もしかしたら土日以外も何日か、恐らく夜になるでしょうけれど、様子見で僕も行くときがあるかもしれません。多分?
そのあたりは成り行きで。
不在の日が多いこともあり、作品についてのテキストを作る予定です。
今回はめずらしくコンセプトといいますか、「何の回路よ?」ってなお話がちょっぴりあります。その辺りのことをプリント風に少々。

とまれみなさま、お時間がありましたらぜひお立ち寄りください。
よろしくお願いします。

それではまた。



そんな感じ。

I hope to write something, but...





ラフマニノフのピアノによる、ベートーベンのトルコ行進曲なんですけれど。
なんかゴロっとしていてちょっと無骨な陽気さで、力強いけれどそのくせどこか繊細な、こういう演奏を聴いたことがなかったのでとても気に入っているんです。
なんというか、僕が知り合ったトルコ人はこんな印象で気の良い人たちでした。
ラフマニノフはすごいなあ。


それはともかく。


毎度ごぶさたしております。
今晩は少し冷え込んでいますが、大分春めいてきました。
僕は鼻水がとまりません。
みなさまはお元気でしょうか。

さて、随分と更新が滞っています。
毎度おなじみの追い込みがきびしいものでなかなか時間が作れません。
というよりか、文章をまとめられないといいますか。

書きたいことが色々あって、たまに息抜きがてらちょっと書きだしたりするのですが、なかなかいい案配にゆかないのです。
気にせずあげればよいのかもしれませんね。
けれども、言葉というものはおもてに出した後もひとりでに育ち続けてしまいます。
特に、あいまいなままの言葉は、稀にこちらの意図とはまるで異なる悪い方向に育つことがありますから、なかなかむずかしいものです。
漫画家の菅原雅雪が「暁星記」というSF作品の中で「言葉は時に呪いとなる」と書いていましたが、まったくその通りだと思います。

文章であればなおのことそうでしょうから、ある程度納得できるところまで考えをまとめておきたいところです。

ところが、「描く」ためには逆に言葉が邪魔になりだしますから、今はちょっとそのあたりの平衡が偏っているのでしょう。うまく文章にならないのでした。

困ったものです。

とりあえずどうしても言っておきたいことは、彼の国の大統領がものすごく戦っているということと、彼の代表は現時点では辞める必要はないと思う、ということでしょうか。

共通して感じることは、どちらも当たり前のことを目指しているというところです。
そして、これに限らず、誰しも思いつく「当たり前のこと」「普通のこと」というのは、実際はとても難易度の高い「むずかしいこと」なんじゃないか、ということなどなど。

時期を過ぎてしまうでしょうけれど、もう少し落ち着いたらそんなことを書いてみたいと思います。多分、きっと。

ひとまずそんなところですみません。



そんな感じ。


About mourning


ginza.jpg



家のことやらレジュメやら五美大展まわりに餃子などなど、何やらコニャコニャとやっているうちにもう3月です。
みなさまお元気でしょうか。

ああ、制作もやってます。なんか今週ちょっとアレで3日程潰してしまったけれど。
いかんなあ。そういう時はそういう時だからあきらめるより仕方ない。
ということにしておきます。
どうも文章を書き始めるとミョ~に時間を使ってしまうものですからブログの更新を抑えてしまったり。とはいえ、あまりに放っておくのもなんですから久々にひとつ。

まずは前回のソウカツ。
ホニャララの乱はもうひとつぱっとしませんでしたね。結局あの発言は世継ぎのためだったのかなあ。う~ん。けれども酔いどれ君子の冒険や沈没発言など、なかなか話題に事欠きませんでした。しかしいつまでやるんでしょう。ほんとにサミットまでやるんでしょうか。そうなったとしてまともに相手してもらえるんでしょうかね。この前のなんたら会議みたいに個別会談キャンセルされたりして。などといらぬ心配をしてみたり。
対する方もこまごまと、なかなかやっかいごとが片付かないみたい。海軍だけとかお金とか。今日の「立件できない!」発言はさすがにちょっと笑ってしまいましたけど。
なんて、最近ちょっとそちら方面の話題ばかりで恐縮です。
またぞろなにやらモニョモニョうごめいていてヘキエキ気味ですが、そこまで騒ぐようなことなのかなあと首を傾げつつも、芸能記事などよりかよほど面白いものですから、ついついとりあげてしまうのでした。いやはや。
あんまりそっちばかりでもなんですし、日々の展開も早いですからちょっと様子見にしておきましょう。

そんなわけで話は変わり、今日は父の命日でした。
わあ、急に重たいなどうも。まあいいや。
塔婆を納めに実家に顔を出したのですけれど、生憎の雨でしたのでお墓に持ってゆくのは中止。墓地が少し離れたところにありますから、仏壇に線香だけあげて、少し雑談して帰ってきました。お墓へは天気のよいときを見計らって母にお願いすることに。残念。

早いもので今回で十三回忌。十三という数字は数え年ですから、実際は丸12年。う~ん、もうそんなになるか。
先月法要のかわりとして食事会という形で親族の集まりは済ませましたから、今日は塔婆だけ。といっても持ってゆけなかったけれど。こういうときに車が欲しくなるなあ。むむ。
仕方なし。

ところで、今回はこういう話なので書きますが、僕は特別信仰を持っていません。寺社仏閣は好きなんですけど、いわゆる「参じて詣でず」というやつで、自分でもびっくりするくらい信仰というものが分からない、というか、実感として理解できないのです。
だから海外の映画などに表われる宗教的禁忌や苦悩というのがピンとこなかったりします。
若干話がそれますが、この点が作品の理解にかかわることがあるのでたまに困るんです。共感しきれず残念に思うこともあります。
誤解のないように記しておきますが、これは単純に自分にとってはそうだという話で、信仰を否定するつもりはありません。言い訳がましいけれども、それについていがみ合うつもりもありませんし、むしろその点はお互いに受け入れながら尊重したいところです。

閑話休題。

とまれ、信仰についてはそんな案配なのですけれども、父が長男だったからでしょうか、家にあった仏壇に毎日誰かしら線香と一緒にお茶やら頂き物のお菓子をあげたり、祖父の施餓鬼で家に来た坊さんが読経をあげたりと、割合幼いころから当たり前のように普段の生活に組み込まれていたもので、葬祭ごとに自分が関わるのは、まったく違和感がないのです。また、先ほど「参じて詣でず」と言いましたが、やはり知己でありますから、寺社仏閣とは異なり素直に手をあわせられるというものです。
これってダブルスタンダード?

なんというか、よく言われるように、多分法事は故人のためでなく、遺された人たちのためにあるんだと思うのです。生前の関係はどうあれ、身近な人がいなくなるというのは、やっぱり少なからずその後の生活や気持ちに某かの痕を遺します。それで時折そのことを思い出したりすると、あーでもないこーでもないと仕方がないことをやたらに考えてしまったり。考えても仕方がないと分かっていても。
けれども、どうしたっていつまでもそこに留まっているわけにもゆきませんから、どこかでその辺りの気持ちに折り合いをつけないといけません。というか折り合いをつけてゆきたい。うん。
なんだかんだ言っても時間に頼るしかないんですけれど。うん。
とはいえただ時間が経つにまかせるだけでは、なかなかむずかしくもあります。だから年忌や施餓鬼、月の命日など、こうした儀式をおこなって時間を区切ってゆくことで、少しずつ気持ちを整理できるといいますか。整理してゆきたいといいますか。法要というのは、そういうものなんだと思います。多分。

実際問題として、個人的には来世というものがあるとは思いません。思いませんが、もしも本当にその先があって、あちらでよろしく元気にやっていると考えられるのなら、どんなによいか。そんな気持ちがまるでないかと言われれば、嘘になります。
やはりダブルスタンダード気味でしょうか。フクザツ。
もっとも、結局それは以前記した ジャコメッティの言葉 にあるように、自分の中にあるその人の姿を浮かべて、そこに語りかけているだけかもしれません。それでも、その人が共に在ると感じることで初めてそれを受け入れられる、というより、「折り合い」をつけてゆくことができるのかも分かりません。おそらくは。

それにしても12年というと干支がひとまわり。早いなあ。
そう考えるとなんとなく気持ちの上で落ち着くものがなくもありません。どっちだ。
いいや、そういうことにしておこう。


それとは別に、自分の近況というか状況としては、なんだかひとまわりして振り出しに戻ったような気分でもあります。
たまに、あの頃と今とでなにか変わったのかしらん、などと考えますが、あんまり自覚がありません。毛髪は薄くなりました。それはカクジツ。
あとは車の免許をとったくらいか。あの頃は運転できなかったので親戚の皆さんにはとてもお世話になりました。そういえば携帯電話もまだ持っていなかったなあ。
中身はあまり代わり映えしていないような気がします。
まあいいや。

とりあえずこんな今日この頃でありました。


そんな感じ。




追記
Kくんあの時は家までの運転と電話の取り次ぎをありがとう。
せんだっては本当に大変でしたね。
しばらく皆さんなにかと忙しいと思いますが、どうぞお体を大事に。





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