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2010年10月

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The Knife

aozora bunko


DSCN1544.jpg


もっぱら移動中にですが、久々に本を読んでいます。
iPhoneで :)
アプリケーションの中にご存知、「青空文庫」がありまして、色々つまみ読んでいます。
昨日くらいから岡本かの子を読みはじめました。
岡本太郎のお母さんということで気になってはいたんですが、読んだことが無いのです。

昔、父の親戚が実家に来たとき、「岡本かの子はむずかしいよ!むずかしい漢字も多いしね!」と話していました。ちょっぴりウーマンリブ(笑)なその親戚が挑むように、勝ち誇るように語る様子に、「漢字がむずかしいと言われてもねえ……」と、すっかりうんざりしてしまいまして、敬遠していたのです。
ふたつめの途中ですが、読みやすくて面白いですね。

折口信夫も読みはじめたんですが、まだ文体がなじめなくて、やっぱり途中で放棄してしまった。
岡本かの子が済んだら再挑戦してみましょう。

自分はものぐさなので、読んでいる途中で疲れてしまうことがあります。そんな時に、たくさんある中から他の本へいつでも切り替えられるのが良いです。かさばらないし、iPhone なら外出の時に必ず持ち歩きますし。
iPhone版には今のところ、200冊近くまでライブラリーがあって、その数が毎月少しずつ増えているのもうれしいですね。。

本文は割合きちんとしたタテ組で、インターフェースも指でページをめくるような感覚がありますから、あまりストレスがありません。書体も活字体に近くてなかなか読みやすいです。

色々とむずかしい面もあるようですが、これで500円しないんですから、ありがたいことです。
ブラボー電子書籍。

もちろん普通の紙の本も良いです。家で落ち着いて読む時は紙の方が良いですね、やっぱり。
重さや手触り、紙の匂いなどの、感触としての読書もとても大事です。
いえ、自分はもっぱら文庫本ばかりですけれどね。

どちらか一方ということでなく、使い分けなんでしょうね。やっぱり。
せっかく良いものなんですから、紙の本も電子書籍も、それぞれ良い方向にすすんでくれると楽しいんですけれど、さて。


明日明後日の土日は天気が良ければどちらかで国立方面に行きたいけれどどうでしょうね。
なかなか晴れ間がつづきませんね。すっきりした青空が見たいものです。う~ん。
とまれ、来月の予定も少し決まりはじめたし、気分を引き締めなくてはね。

さてさて。




hope to be myself. hope to be yourself.


WEB_sleeper.jpg


久しぶりの陽射しで少し寒さも和らぐのかと思いきや、表に出るとずいぶん冷えていましたね。こんな風に冷え込んでくると気になることがあります。が、ここではやめておきましょう。
今週は仕事の方も少し時間が空いてしまったので、アレやコレや、ぼちぼち調べものなどをしています。
正直な話、年末年始を考えると、こんなことを書いている場合でもないのですが、この頃とどこおり気味だったこともありますから、書けるうちに書いてみようと思います。

今日のような天気の日はなんとなく、初めて個展をやった頃のことを思い出します。
割合寒さが厳しい冬でした。なんだか随分昔のような気になりますが、まだ2、3年前のことです。

初めての展示でもう何が何やらで、随分追いつめられていた記憶があります。
それで搬入の頃に、少しごたごたもあったんですけれど、友人のY君がどうにか都合をつけてくれて、それでなんとかオープンすることができました。Y君、あの時は本当にありがとう。

大変な一方、もうとても楽しくてね。何しろ、学校をでてからずうっとやりたかった展示でしたからね。もちろん、別段ギャラリー企画でもないし、全て自分持ちだったわけですから、言ってみれば自己満足なんですけれど、それまで色々な理由でできなかったことを、ようやく実行できると、うれしくて仕方がなかったのを覚えています。

昨年から今年のはじめにかけては、色々な失敗や取り返せないことがいくつかあって、なかなか苦しくもありました。たくさんの人びとに迷惑もかけました。
けれども、いくつか発表する機会をつくることで、ようやく持ち直してくることができました。特に今年はたくさんの大切な出会いも生まれました。どれもまだ始まったばかりとはいえ、数年前には思いも寄らぬことでした。本当にありがたく思います。

今から多分、7、8年前だったでしょうか。
その頃までは仕事が忙しかったり、少しだけ家のことがあったり、何よりもつくりたい強い気持ちはあるものの、何をやってもまるで形にならなくて、焦りがつのるばかりでした。本当にもうだめだと、何もつくれなくなってしまったと思うこともありました。

その頃の、同じように寒い時期だったと思います。どうしても何か描きたくなって、とりあえず人の顔でも描いてみようと。細かいことはどうでも良いから、ともかくなるべく丁寧に、自然に描くことだけ考えようと、そう思って、実家の近くに安いぼろアパートの1室を借りて、そこで油絵を描きはじめました。
結局忙しくて、月に何日も描けなかったんですけれど、それでも、それがひとつのきっかけになったようでした。

今にして思えば、あの時、あの部屋をかりた時から、自分の制作・展示活動が始まっていたんでしょうね。それからそれほどのことをしていた訳でもないんですが、あっという間に過ぎてしまいました。時間の経つのはとても早いものですね。

この前、可能性の話を書きました。蠟燭の話です。
あの部屋を借りるまで、自分の蠟燭は、おそらく消えていたんだと思います。
けれどもその蠟燭はなんとなく、常にこころのどこかに、小骨のようにひっかかっていて、頭からはなれずにいました。それなのに、自分で自分の灯火を消していて、そこに火を灯す気力も、勇気も薄れていたのでしょう。
それが一体何がきっかけだったのか、今ではもう覚えていないのですが、ともかく「やらなければ」と思いはじめたところから、少しずつ灯火が大きくなっていきました。そうして、今があります。

もちろん今でも、あの頃のように、もうつくれなくなるかもしれないな、と思うことがあります。
幸いなことに、今のところ、いくつか形にしたいことが頭の中にありますし、つくるごとに「こうしたい」と思うことが増えてくれています。けれども、いつかは何もつくれなくなるときが必ずやってくるでしょう。それは仕方の無いことです。それまでは、今思いつくものを形にしたいと思います。

多分同じように、つくれないことが苦しく感じる方もあると思います。けれども、それは自分自身で切り抜けるしかありません。最終的にあきらめることがあるとしても、とても残念なことですが、仕方のないことです。それについて、自分自身もまだ大したものはつくれていませんし、それほど適切なことばを述べることもできません。けれどももし、ほんの少しでもこころのどこかにひっかかるものがあるのであれば、誰が何と言おうとも、自分自身の可能性を信じて、つくりつづけて欲しいと思います。
こころからそう思うし、そうあって欲しいのです。

ひとつだけ言えるのは、少なくとも何かしらの着想と可能性がある限り、自分は自分の作品づくりをあきらめたくは無いということです。そしてあきらめない限り、なにかしらの変化が訪れるはずです。きっとそう思います。
ですから、多分どのような形であろうとも、つづけることになると思います。そうありたいです。どこまで行けるかは分かりませんが。

この世界では、まだまだ駆け出しの現在、こんなことを記すのも恐縮ですが、今はそのように思います。

さて、調べものをして、少し新しい目標もできはじめましたし、ちょっぴり資金も稼がなくてはね。
寒くなるけれどもがんばろう。

さてさて。



Sakai Shun

Color means the real world, I think. And does colorless mean the unreal world ? I don't think so, maybe :))


DSCN1577.jpg


「色は使わないのですか?」 展示をしていると、たまにそんなことを聞かれます。

そうした質問には「昔から色感が悪いもので :)」とか、「鉛筆やペンで描くのが、一番性に合うようです」と、答えています。「どうして色を使わなくてはいけないのですか?」なんて、意地悪な答えは飲み込んで(笑。

もちろん、どちらの理由も本当です。
元々油絵の具で描いていて、それから、アクリルや色鉛筆、ペインティングソフトウェアを使ったりもしましたが、結局最後まで残ったのは鉛筆でした。色を使うと配色ばかりが気になって、あまりうまく進まないのです。
子どもの頃、寝床にもぐりながら、シャープペンシルやボールペンで、漫画の落書きやら何やらを夜遅くまでノートに描いていました。その所為か、鉛筆やペンの類いが一番描きやすく、体になじんでいるようです。だから最後まで残っているんでしょうね。

それとは別に、なにゆえか昔から、モノクロームの作品にとても魅きつけられます。
学生時代、幸いにも一番入りたいと思っていた学校へ入学することができましたが、その理由も銅版画を勉強できるということでした。
どうして銅版画をやりたくなったかといえば、その理由はただひとつ、高校の図書館にあった、ケーテ・コルヴィツの作品集を見たからです。
銅版画で描かれたモノクロームの調子と描線の力強さには本当に圧倒されました。
自分もこんな風に描きたいと思ったものです。
もっとも、自分はあまり良い学生ではありませんでしたが(笑。

今でこそ様々なジャンルの作家や作品を好むのですが、当時好きな作家も、ゴヤやデューラー、ルドンやヤンセンなどの版画やドローイングに見られるモノクロームの作品が多かったのでした。

ではなぜ今、版画をやらないのかといえば、設備や資金面のこともありますが何よりも、直接描けないことで、大変なストレスがたまるからです。せっかちで、まわりくどいことが苦手なのでしょうね。
結局、銅版画からは離れてしまったのですが、たまに、DMなどをご覧になった方で、「銅版画ですか?」と訪ねられることがあります。多分、その頃に感じたモノクロームの印象が、今の作品にも反映されているのでしょうね。

今まで、モノクロームを選ぶ理由はそんな風に考えていたのですが、この頃、少し別の考えも持ちはじめました。
モノクローム、中でも白黒の世界というのは、現実の世界では存在しない色調だということです。

わたし達の目は光をとらえてものを見ることができます。そしてとらえた光にはさまざまな色彩が含まれています。
およそ真っ暗に近い闇夜の中で微かに見える光でも、白黒に近くはあるけれど青味がかっているだとか、何かしらの色彩が含まれていると思います。きわめて特別な環境や状態でない限り、ほとんどの人びとは当たり前のように、さまざまな色彩に囲まれて暮らしているでしょう。極端に言えば、わたし達の現実世界は「色彩の世界」だと言えると思うのです。

では、仮に全ての光を失って、色彩をとらえられなくなったとしたら、わたし達の現実世界そのものも喪われてしまうのでしょうか。
いいえ、そんなことはありません。
光があたっていてもいなくても、そんなことはおかまい無しに、ものごとはそのままそこに「在る」のです。

そこで奇妙なことを思いつきました。
わたし達は光と色彩をともなわなければものごとを見ることはできないけれど、ものごとは色彩をともなわなくとも存在しているし、存在できます。であれば、ものごとが存在するためには、光、特に色彩というものは必ずしも必要ではないかもしれないのです。
そして、以前自転車に乗りながら感じたような、光をともなわずに存在できる「ものごと」というのは、一体なにものなのか。見えるとは一体どういうことなのか。
そんなことを考えるのです。

また、自分は性分として、色彩よりも、ものの形や姿に興味があります。
そうして自分の作品にあるような、どこからともなくあらわれる姿を形にしたいと欲した時に、一等自分の感覚になじんでいるのが、モノクロームで描くことのようなのです。
その意味では、自分のドローイングは彫刻的と言えるかもしれません。
実際、自分は自分の作品を平面というよりも、立体的な「オブジェクト」として捉えています。

色彩について言えば、およそ現実に存在する「もの」が持つ色彩の方が格段に美しく、澄明で、なおかつ確かな存在感があります。
ですから、自分が色彩を使うのであれば、「平面」としてではなく、「もの」として存在できるような立体物としてあらわしたいと欲するのです。

そうしてあらわれたものごとのひとつが、「souvenior」であり、吉祥寺での small pieces 展に出品した「color circuit」をつくった理由のひとつでもあるのです。
自分にとって色彩とは、現実に一番近い現象なのかもしれません。

そして「平面」というのは、「立体」をともなう現実世界とは、およそかけ離れている存在であり、表現でもあります。そこに描かれたものは、現実の確かな存在ではないにもかかわらず、あたかもそこに「在る」ような、時に不安をおぼえるような、異様な出で立ちでわたし達に忍び寄ってきます。

そこに白黒であらわれる姿は、およそ現実とはかけ離れていながらも、色彩をともなうよりも、いいえ、色彩をともなわないからこそ「もの」そのものとなったその様子が、いっそうの存在感を持って、わたし達に働きかけてくるような、そうした印象と感覚を自分は抱いてしまうのです。
ですから、自分が鉛筆やペンで描くとき、できるだけ、そうした現実感覚を投影できるような、そこに「無い」ものが、あたかもそこに「在る」ような、そんな作品をつくりたいという欲求があるのかもしれません。

そうした「平面」と「白黒」のもつ、実際の現実ではありえない表現と印象に、現実以上の現実的な姿を感じてしまうというのが、自分が作品をつくる時にモノクロームを好む所以なのかもしれません。


一方で、先にのべたように色彩というものが現実を象徴的にあらわしていると感じているこころがあるからでしょうか。他の作家がつくる豊かで澄明な色彩をはなつ作品に出会うとき、その美しさと広がりに、たいへん感銘をうけのです。
ですから時折、好きな作品の話をすると、自分の作品と印象が異なる所為か、とても意外だと言われることが多くあります。自分には表現できない世界の姿をあらわしてくれていることもあるのでしょう。そうした自分にはない別の世界の一面を愛おしく感じるのかもしれません。
作品をつくる時と鑑賞するときとでは、自分の中で見方の相違があるのはそのためなのでしょう。


恐らくはそのように、感じていることなのだと思います。
今のところは :)


そして面白いことに、そのようにモノクロームに対して感じているのは自分だけではないようです。
それに関して、昨日予定がひとつ決まりました。できれば新作でのぞみたいものです。

大きな展示でもありませんし、まだはっきりしないことも多いので、もう少ししてからまた改めて告知することにします。


どうぞよろしくお願いいたします。



how many candles do you have ?


DSCN1565.jpg


ごぶさたしております。
寒いですね。みなさまお元気ですか。

今日は天候もすぐれなかったこともあり、中央通りでのドローイングは取り止めにして寝ていました。
9月の2人展からこちら、どうにも疲れやすいというか、疲れがぬけないようです。
先週はそれ程でもなかったんですが。う~ん。
また別の機会に。

休みながら少し考えごとをします。
ひとつは、自分が今のように制作や展示をしている動機について。
なぜ作品をつくるのか。色々な理由が思い浮かびます。
それで言葉は悪いんですが、つまるところ、多分自分は諦めがつかないのかもしれません。

誰でも生まれた頃は、明かりの点いた蠟燭を何本も持っていると思うのです。
その蠟燭はそれぞれに、様々な可能性を灯していて、時間とともにひとつずつ灯火が消えてゆきます。
消えてゆく理由は、例えばその蠟燭の長さであったり、大きな風に消し飛ばされてしまったり。
あるいは、自ら可能性を閉ざすことで、それを吹き消してしまったり。
さまざまだと思います。

それで多分、自分にとってどうだろうかと考えると、つくることについてまだその蠟燭が残っていて、どうしたわけかたくさんの風に吹かれてもその灯火がしぶとく消えず、かといって、自分で吹き消してしまうには、まだまだどうにも納得がゆかないのだと思います。

だからその姿が遷り変わろうともなにかしら、自分を納得させる答えが見つかるまでは、それを続けてゆくのだと思います。
そして自分以外についても、可能性を感じるなにかに出会ったとき、なにかできることはないだろうかと、近ごろはそのように考える次第なのです。
そしてその方法を、日々の行いとともに、ずうっと考えつづけています。

さてさて、どうしたものかなあ。
う~ん。


よ~し、もうひと眠り(笑。

おやすみなさい :)






Kid Loco

next sunday


DSCN1513.jpg

んん?う~ん。

ん~。うん。


まーいーか。


そんなわけで来週日曜日、天気がよければあらためて、中央通りでドローイングをやります。
やはりよそに恃むのはいけないな。次回は単独で。
ひとつ。ぱしっと :)

よろしくお願いしま~す。





I'm gonna be on the street from tomorrow afternoon and do something there.


DSCN1549.jpg


今日は川越の友人宅で、なにやらとっても刺激的で面白いことが起こっていた様子。
いいね :)

わたくしはお仕事。本日で自分の役割はひと段落。
ああ良かった。楽しみだなあ。
みなさま誠にありがとうございます。

それにしてもこのところ、まるで描いておりません。
ここ数ヶ月を思えば意外なことであります。うむ。
随分ながくやっていないような気がするけれど、実のとこ、先月の2人展が終わってからまだひと月もたっていないぞ。むー。そろそろなにかつくりたいし発表したい。
やっぱり月に一度は何かしてみたくなります。

そんなわけで。
先日こちらにも書きましたが、明日銀座の中央通りで友人と絵を描きます。
昼過ぎくらいからです。

自分はどうしよう?
とりあえず紙がないので、行く前になんか買ってこう。
多分ペンかなあ。
ぼんやり考えていることもありますが、まあ成り行きで :)
久しぶりなので虫のように描きたいです。←意味不明。

なんか四丁目あたりでウロウロしてると思うので、見かけたらドロップキックしてください。

その後はたくらみごとの相談をするらしいです。
ふむふむ。また後日。


そんで写真はこの前ぶらぶらしてたらみゆき通りで見かけた猫。
猫にゃんにゃん。ややおねむのようです。
この頃中央通り沿いでよく見かける光景です。
面白いねー笑。

絵を描く場所は、ここからもうちょい東京寄りですから、ご注意ください。


あとそうそう、全然話が変わるけどホームページのホーム画面を地味に更新しましたよ。地味です笑。
地味なので音でもつけてみた。個展で流していた haphazard "variation" のひとつです。

そのうちプレーヤーでも設置して他の音も公開しようかな。
下手の横好き。恥ずかしいところの大判振る舞いです笑。
地道に勉強しよう。


そんな案配ですが、どうぞよろしくお願いします。









my last week and my next term


DSCN1521.jpg


ごぶさたしております。ええ、ええ。何気に久々のエントリになってしまった。
先週は知り合いの手伝いで丸っと過ごしておりまして、ちょっと時間無かったっす。
今週も少し仕事をもらえそう。近ごろ色々アレなんで、来月末から少し楽になるかな?

このところ、直近で笑っちゃうくらいちょっぴりシビアな案配なんだけど、なんというかさ。
そもそも、生きるのはそれだけで大変なんだってことがこの歳にしてようやく分かってきたんだけども、そもそもそんなことは当たり前のことであるからして。
まあ、あんましその辺り考えても仕方がないからさ。
「考え」にとらわれて動けないくらいに悶々とする贅沢を味わってる暇があるんだったら、何かしないといかんよね~、と思うのでした。
ナンカシヨスー。さてさて。

シビアはシビアなんだけど、友人で役者の役者松尾マリヲくんが出演した芝居を見てきたよ。週末。
松尾くんもさすがに長いことやってるだけあって、このところ、演技も踊りもとてもいい感じなのでした。かっこいいなあ。松尾くん、ありがとう。俺もがんばるよ。今度呑みに行こうね :)

秋も本格的になって、良く眠れるのが困り者ですが、ぼちぼち「本業」の方も次の動きをはじめなくては :)
とりあえず。場所も場所ですから、休憩時間にぽちぽち動いてみております。
後は前橋の方をどうしよっかな~。ってな案配。
さてさて。

ひとまずは、週末に友人と銀座中央通りの歩行者天国で絵を描く予定。
何をしようかな。とりあえず、シリウスのストックが切れたから何ぞ手配しないとね。
多分日曜日のお昼位からウロウロしてます。
興味のある方はおいでませ銀座:)

そんな案配で、なにやらツナギ的な更新で恐縮ですが、どうぞよろしくお願いします。



追伸

中村政人著 「レンタルギャラリー」を読みたいんですが、どなたかお持ちでないでしょうか?
多分、自分が疑問に思っていることの答えのいくつかが、そこに在るような気がします。
読みたい~笑。








in an autumn night.





少し肌寒い夜。すっかり秋めいてきましたね。
早いものでもう10月。今年もあと3ケ月ですよ。う~ん。

今日は朝から家の片付けごとをしたりして。そして夕方ちょっと寝るつもりで先ほど目が覚めました。
わはは、気候のおかげか良く眠れます。これから少しお仕事。

久しぶりに夢を見たような。なんだっけ。
それで、この曲が「マルホランド・ドライブ」に使われていたようなそんなような。
違ったかな。

ところで昨日渋谷で尖閣問題に講義する2000人規模のデモ集会があったそうですね。
渋谷では先日もナイキ公園着工に際して抗議団体の強制退去騒ぎがあったし。
なにかそういう空気ができはじめてるんだろか。はたまたたまたまか。

先日の党首選では結局あんな感じで治まってしまったしなあ。
結果的にはおよばなかったものの、実質的な票数では4割の人が反対票にまわっているわけだし、なんとも微妙な案配です。しかも3分の1の10万票程度が未投票。微妙です笑。

ほとんどの報道機関がそういうことを伝えないのがとても不思議。
同じように、今日のデモについてもまるで報道されてないみたい。
普段、日本のニュースにはあまり興味を示さない欧米のメディアは報じているようです。
不思議というより空恐ろしかですよ。む~。

なんかやっぱし色々大変かも分からんですねー。
なんかねー。

まあ、今は自分のことをしっかりやることですね。
やっぱしねー。

なんてこと考える秋の夜長なのでした。
さ、仕事しよーっと :)






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